水瀬クレア 名無しのヲタさん

まじかわいい

(@Claire20161142)

210名無しのヲタさん

私は自分ではいじめられたことはないと感じていますが、もしかしたら、周りはいじめていたのかもしれない。そのような思い出とともに、投稿している1人の男性です。いろいろな、感情を刺激するような言葉をあえて選ぶ人の心理を紐解くのは、模範解答、それがひとつのキーワードになるのではないでしょうか。誤解しないで聞いてください。優しい性格の人、繊細な人は相手を傷つけまいとして、自分の本当の気持ちを包んでしまうことがあります。とても素敵な行為だと私は思います。私も基本的にはそういう姿勢です。
でも、それは時に模範解答、という印象を与え、つまり相手の方に距離感を感じさせるリスクもあるかもしれません。本当は、仲良くしたい、あなたの本当の気持ちが知りたい、と強く思っている相手ほど、自分が他の友人と同じような対応をとられる、つまり、その方を傷つけまいと本心を包んだあなたの優しい対応に怒りを覚えることがあるのだとしたら、それは、とても悲しいすれ違いです。痛かったら痛い、苦しかったら苦しい、そう言っていいのです。そう言われると相手も辛いから、と自分で背負わなくて良いのです。プラスの感情もマイナスの感情もどっちも、人が生きていく上で、必要ななくてはならない感情です。プラスの感情は、進化、加速、成長と結びつく反面、もし、それが誤った道を示していたらどうなるのでしょう。マイナスの感情は、嫌煙されがちですが、プラスで進めすぎて取り返しのつかないことにならないための、抑止弁と捉えることも可能です。だから、常に明るく、楽しくというスローガンは偏りを産み、人に優しくというものも、それが常に、となれば、軋轢を産みます。こころの中に産まれた感情は、純粋なものです。客観的に見ると、悪、善、正、負、その他もろもろの属性を与えることは可能です。でも、純粋な気持ちというのはそのどれでもなく、そのものなのです。自分で負の感情だと分類する前に、その感情を認めてあげてください。そして、それを大切な友達とシェアしてあげてください。みんなが少しずつそれを試していけば、偏りを最小限に抑え、負の感情だとしても、リカバリー出来ます。リカバリーするのは他者です。与えて、もらう。属性はあくまでオプションです。少しずつ、素直に生きやすい世の中になるように、私も少しずつ実践しています。
長文失礼いた