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名無しのヲタさん
うちの娘たちはなぜこうも不器用なのか。
きっと俺が不器用だからだろう。
なぜ俺は不器用なのか。
考察してみよう。
俺はガキの頃育児放棄され自分1人の力で生きるしかなかった。
そもそも物心ついた頃から父親はおらず家族は母親一人。
俺も母親も一人っ子のため親戚はいない。
さらに母親も祖父と絶縁状態で頼れる人間は母親しかいない。
しかしその唯一の家族である母親が育児放棄。
電気もガスも水道も止まった家の中当然食い物も無く生きるのに必死だった。
夜中は畑に忍び込んだりスーパーの倉庫に忍び込んだり学校の水道で水分補給する日々。
俺は激しく母親を憎んだ。
小中高はやつを殺す事しか考えてなかった。
母親を憎むことが唯一の生きる活力だった。
他のヌルい奴らとは次元が違う生き方をしていたので当然ケンカは無敵。
生きる希望も死への恐怖も超越した俺に勝てるやつなど存在せず悪い連中からも度々スカウトされた。
しかし不思議と俺はグレなかった。
それは音楽があったから。
俺が殺したくてたまらなかった母親。
母親を憎しむ事だけが俺の唯一の原動力だった日々の中で母親が俺に唯一教えてくれたのは音楽の素晴らしさ。
音楽と出会い俺はのめり込み、また、ジャマイカやイギリスやインドやアフリカや南アメリカや俺よりひどい境遇の人がたくさんいることを知る。
言うても日本は経済大国。
乞食も死なない国。
現に俺は何年も生きていた。
何度も悲観し、絶望したこともあったがバカらしくなった。
気が付けば俺はバンドを始めていた。
ここでは書けないような様々な悪事のおかげで(笑)、金が全く無い状況でもバンドは存続。
やがて高校に上がるとバイトができるようになり経済状況はかなり改善される。
高校卒業と共に母親には正式に絶縁宣言。
一足先に東京で一人暮らしを始めたバンドのメンバーの家に転がり込みバンド活動がより本格化する。
ひたすらバイトとバンドに没頭するも10年近い活動の末、25歳でバンドは解散。
理由はシンプル。
このままじゃ売れないから。
「いい音楽」と「売れる音楽」は違う。
さらに
「自分がやりたい事」と「売れるためにやらなくてはいけないこと」
は全然違ったということ。
そんなこともわからない程に俺は青かった。
それに気づくのに10年かかった。
さらに演奏よりプロデュースやマーケティングに興味があった俺は(というか周りにいた人間があまりにそういった類の事に無頓着だったので俺がやらざるを得なかった。)
バンドを辞めて音楽の会社を作ることを決意。
ずっとバンドとバイトだけやってきたので就職経験もまともな会社に入ったこともない俺がいきなり会社を作れるはずもないので社会経験を積み修行をするためIT広告関係の会社に就職。
ウィンドウズも使ったことがない状況でゼロから勉強することになる。
しかし信じられない程ここでバンドでやっていたことのスキルが生きる。
外渉、契約、企画、開発、会議、売上、経費、人間関係などなど表面的に扱うコトが変わっただけで根本的にはやることは変わらない。
あっという間に会社の売り上げを立て半年でバイト→契約社員→正社員→課長→部長→役員に出世。
会社の売り上げの8割を作り俺の年収はすでに1000万を越えていた。
しかし会社が順調だもんで調子に乗りまくりな経営陣に嫌気が差し独立することを決意。
就職から約一年後に仲間を引き連れて独立することになる。
独立してすぐは当然死ぬほど順調。
もう儲かって儲かった仕方がない状況であった。
しかししょせん俺も経営者としては未熟、素人。
やがて社員に2000万ほど横領されたり怪しい投資話にダマされ4800万盗まれたり散々な目に合い徐々に崩壊に向かう。
そしてこの時再び死を意識した俺は「どうせ死ぬならもう一度最後に自分のやりたいことをやろう」
という決意でMovingFactoryを作る。
この決意が功を奏しここからまた色々あり業績が徐々に回復。
だんだんと立て直されどんどん会社が成長していく。
あれから約10年経った今では本業のITは年商20億でまだまだこれから伸びる、エンタメの方はまだ赤字ながらももはやこれは金ではなく俺の意地であり夢とロマンなので死ぬまでやるつもり。
数々の経験を得て俺が行きついたのは「所詮この世は弱肉強食」ということ。
強いものが勝ち弱い者は死ぬ。
弱者は社会のゴミであり、強者こそが正義。
「勝てば官軍」であり「敗者に口なし」である
どんなに人権だの民主主義だの表向きは言ってもこの世には明確に「支配する側」と「される側」が存在する。
発言権がほしいなら、金がほしいなら、夢を叶えたいなら「勝つ」しかない。
弱者の意見など誰も聞かないし弱者には何の力もない。
真の「力」とは「勝つこと」のみである。
金も食い物も家族もない。
何もない。
全て無い状況で生まれ育った俺は生きていく過程でこの残酷な世界の真実を身をもって体感した。
しかしその一方で俺は金に興味がない。
もちろん生活していくのに必要な金は必要である。
要するに拝金主義者ではない。
音楽や芸術などの精神的な豊かさが物質的な豊かさに勝ることを知っているから。
「金と力こそがこの社会の正義」であることを知りながら「金や物質主義より芸術の方が価値が上」ということも知っていてこれは今でも完全な自己矛盾である。
お金が大好きな経営者とも話は合わないし、社会の事を何もわかっていない芸術家とも話は合わない。
そもそも話が理解できる人間など35年生きてきた中で数えるほどしか出会わなかった。
しかし2012年。
最も分かり合えない人種とひょんな事から一緒に仕事をしていくことになる。
アイドルのプロデュースである。
「売れるアーティストを輩出したい。」
それだけがこの会社の目的である。
別にジャンルは何でもいい。
20年以上の音楽経験からどんなジャンルであろうと我々は対応できる。
アイドルなどいまだに興味もないが当時は空前のアイドルブーム。
アイドルブームに乗っかればまだ自身が経験したことのないフィールドへ行けるのではないかという期待があった。
しかし一緒に仕事をしていくのは当時まだ女子高生だったメンバーたち。
大人とも分かり合えないこの俺が一体少女とどう分かり合えばいいのか。
何を指導し何を伝えればいいのか。
苦悩の日々であった。
ここまで話や価値観が合わない人種と仕事をするのは自身としても初めての経験であり、本当に戸惑った。
俺の人生観も少し変わった。
トライ&エラーの連続であったがそんな中でもたまに「お!」と思う瞬間があった。
また、それらは少しづつ増えていった。
そんな時俺は唯一無常の喜びを感じていたかもしれない。
特に最もそんな経験をしたのが初期メンの中では「ひいにゃん」だった。
誰よりも好きな事に真っすぐだった彼女は俺の話を一番聞きたがってくれたし一番理解してくれていたかもしれない。
さらにそれを自分の糧に変え実践していき結果にも繋げていってくれた。
価値観が違い過ぎて打っても打っても響かないメンバーの中にあって最も響いたのがひいにゃんだったかもしれない。
当時ほぼ全員が人間のクズという最悪な状況の中で唯一まともだった側の研究生メンバーが「ゆめめ」「おりえる」であった。
イジメられ蔭口を言われハブられながらも折れずに本当によく頑張ったと思う。
よくあの状況でも歯を食いしばって頑張ったと思う。
2人の誇り高き精神は尊敬に値する。
今回ひいにゃん、ゆめめ、おりえるというこの3人の大事なメンバーを失うことになった。
俺は今回卒業するこの3人を含めた今のこの7人にとても期待していた。
と、同時に当然ながらこういう結果になりとても残念でありとてもがっかりしているしとても悲しい。
この7人はティーチャー同様初期の7人を越える可能性のある7人だと思っていた。
俺はこの7人に何をしてやれたのか。
何をしてやれなかったのか。
どうすればよかったのか。
今でもわからない。
元メンバーや一部のクズなヲタクによって色んなものを壊され、崩されてきたメチャハイ。
崩れるのは早いが構築するのは時間がかかる。
その間に多くのチャンスを逃し、多くの時間を浪費してしまった。
それでもようやくこの7人が揃い「本当にここからが再スタートだ!」と思った矢先にこれ。
俺としては当たり前だが怒りもある。
もうひいにゃんとは一か月以上口を聞いていない。
しかしどうしても俺はこの3人を嫌いになれない。
今まで何人か卒業イベントを行ってきたが今回初めて本当に「悲しい」という感情がある。
不器用な俺だから娘たちも不器用にしてしまったのかもしれない。
残された期間は短いけどせめて最後の3ヶ月は最高のものにしてあげたい。
「おめでとう!」とは言えないけど、ひいにゃん、ゆめめ、おりえるには「ありがとう!」という言葉を贈ります。
おしまい。