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マーベルエールの平井 ここで元所属の風評書き込む
名無しのヲタさん元推しに会うと、やはり『あの人』の話題になってしまう。あの人の事務所が一番好きだったのは間違いないし、勝手な計画に付き合うのも楽しかった。
元推しとの最後の別れの時、あの人から一言でも感謝の言葉があれば、あの人への自分の思いはまったく違った。自分だって出会いに感謝とは思ってる。
家族にたとえると、、、どんなに父親が金にルーズで気分屋でも、わりと許せる
でも、母親や兄妹を責めて互いに敵対関係になってしまったら、、、
もともとは『身内』で、守りたい対象だった父親が、『身内』じゃなくなる瞬間
自分が唯一、身内に見切りにつけることが起きてしまった
推し事がライフワーク的に進化してる
事務所やタレントを中心にオタクが集まりコミュニティが発生し
誕生日やクリスマスといった行事を楽しみ、遠征という小旅行を満喫する
『家族』的なモノを自然に作り上げていて、趣味から生活の一部へと変わっていく
これは、、、たぶん幸せの形なんだと思う
最重要❤️🔥オトギノ生誕ライブ🥀
ご予約待ってます🙏❤️🔥
3月19日(日)
11:00開場11:20開演*予定
『オトギノマオイ生誕祭』
会場:初台Doors
料金:前売2500円 当日3000円別途1D
11:20-11:35 漆黒ノ協奏曲
13:25〜中物販
16:15-16:35 オトギノソロ
16:40〜終演後物販
ご予約⬇️
http://tiget.net/events/232634
生誕祭後の夜は初のソロワンマン❤️🔥
シングルCD「雨夜の月」ご購入者様は招待状ご提示で入場無料❤️🔥
3月19日(日)オトギノマオイ単独公演『棘』
18:00開場19:00開演
会場:初台Doors
【雨夜の月】購入で招待状お待ちの方は入場無料!
*紛失した方も当日購入出来るのでCD代金1000円を頂きます。別途1D
生誕の方は開演も全体のタイテも出てんじゃん
https://twitter.com/Otogino_Maoi/status/1636748444311379969?t=JcBBRHRHFiua0EEWELEzmg&s=19
信頼できる人に秘密を打ち明けるとき
クチドメできたら、それはそれで良し
その人の口から漏れたとしても悪いようにはされないだろうということも含めて信頼してる
3年ぶりに『あーこの秘密が漏れてたから、みんな優しかったんだな』と気づいた昨日の夜
#燎kagari 煌葬
『死者を弔うことができるのは生きてる者の特権ですよ』
過去を乗り越えて今も頑張っている人に光をあてる生者礼賛
全体を通じて『笑う』ことが大切なんだと気づかされる公演だった
楽しいことをたくさん詰め込むのは『あの場所』のよかったところだから、嬉しかった
30秒くらいのメッセージ録音を30日超えて待たせてくる人がいて、その人にも『忙しいから』と言われた気がする🫠
これは自分が優しいと思われてるからじゃなく、バカにされてるんだってことぐらい自分だって気づける
https://twitter.com/Otogino_Maoi/status/1648710682072989697?cxt=HHwWgoDS5anosuEtAAAA
森永まみの霊が乗り移ったか
応援したい役者さんがいたんだけど、ただの〇子会にファンの参加を募り、飲み代をファンに全部出させるだけの企画をしてたのがネックになって、全然応援できてない😵💫
役者としては才能の塊みたいな方で、それだけが向き合えない致命的な原因🫠
応援することとファンになることが一般的に=な気がするけど、
自分は応援はしたいけど、ファンじゃないってことが結構多い
かわいい服を作る技術にすごい!と思ったら投資するけど、自分が着たいわけじゃないって感じに似てる
あの日
初回の公演が意味わからんすぎて
先に買ってたチェキ券を使わずに帰り
律儀な運営さんが2回目の公演でフォローしてくれて、受付近くでやりとりしてる間に声を掛けられることがなければ
とか考えると
本当に偶然が重なる
正しさの基準がどこにあるのか?
水着一つにしても
自分が望まないのに水着を強要された人がいるなら、不当だと声をあげるべきだし、その声を守ろうとするのは意味があるけど
水着を望む人から機会を奪うのは横暴で
本来権力に対峙すべき人たちが、人の自由を奪うことに無自覚なのが虚しい
本来は
水着をけしからんとする勢力が権力側で、それに抗して表現せんとするのが反権力のあるべき姿なのに
今は権力側が寛容で、反権力側が権力に弾圧が緩いと進言する有様で
本当に終わってる
低賃金で長く働くという、労働力としての評価なら『最高』な生き方は
最低な生き方でしかなく、多くの人が次世代を望まなくなった
そういう馬鹿馬鹿しくて単純な悲劇が、今起こってるんだとおもう
時間を犠牲にして得る対価の小さいさに、『働いたら負け』という言葉がもはや純粋な冗談ではなくなってしまい
あまりに若い人たちに酷な扱いばかりしていたから、モラルハザードを防げなくなったと思ふ
卒業イベントは、これから新しい(困難な)道に挑む人にとって毒にしかならない
何かをはじめるより はるかに簡単な辞める行為で光を浴びてしまうから
辞めることに価値はなく、新しくはじめることにこそ価値があり、祝福すべきは最初の一歩を踏み出した時だと、自分は思ってる